やらかし(され)ました
夜行バスの中で時折目覚める。今どこら辺を走ってるのかなあとアイフォンのグーグルマップを覗いてみた。
あれっ!? 思ったより西にいるな。カスピ海沿いを走るんじゃないのかな?
また目覚めて確認。あらら、ずいぶん北西だ、おかしいなあ。
朝、6時過ぎやっと確信した。それは「マークー」という地名をマップで発見したからだ。
ガーン。私は「バクー」に向かうつもりが、「マークー」行きのバスに乗せられたわけだ。
あれほど、「バクー アゼルバイジャン」と何度も言ったのに。アゼルバイジャンを聞き逃すはずはないのに…。
地図で示すべきだったかと後悔してももう遅い。バスの運転手にアスタラ(アゼルバイジャンとの国境)へ行く方法を尋ねた。タブリーズまで引き返せば、アスタラ行きのバスがあるという。
バスが休憩した地点で、タブリーズへ向かうバスを止めて乗ればいいと彼は言ったが、止まってくれるバスはなかった。結局TAXI相乗りでタブリーズへ。近いと思ったが150キロ以上あった。1時間半ほどで到着。30万リアル。
バスターミナルでアスタラ行きバスを尋ねると、早い出発のバスは13:30発だという。アスタラどまりで19時過ぎ到着。国境越えは明日になる。アスタラに泊まる気はないので、キャンセル。アスタラに向かう途中の大都市アルダビール行きバスならば、すぐ出発するというので、そちらを購入。(ただし、そこから先のバスがあるかどうかは不明。)
タブリーズからアルダビールまで228キロ。10:00出発、14:00少し前到着。
バスを降りたらタクシーが待っていたので、アスタラに行くバスはないかと尋ねると、乗り合いTAXIを紹介された。アスタラまであと88キロ。15万リアル。(イスファハンのタクシーがいかに法外なボリ方をしたか、良く分かった)
日本人だと分かると、英語が話せないのに、運転手さんや、乗り合わせたお客さんが、スマホの翻訳機を使って会話を試みてくれた。私たちは、日本人が大好きです、とも。イランの人はとても親切で、よく声をかけてくれた。
好奇心が強く、じろじろ見られるのには少し閉口したが…。
アスタラ到着は16:00少し前。すぐにイランの出国審査。これがスムーズにいかない。係官が引っかかったのは「なぜイスファハンからテヘランに戻ったのか」。イスファハンを観光したかったからテヘランから往復しただけなのだが、うまく伝わらなかったようだ。別の人に、デジカメの写真を見せ説明し納得してもらう。
次に、アゼルバイジャンの入国審査。これまた変なところで引っかかった。ビザの名前とパスポートの名前が反対だという。ビザにはシュアネーム(名)とファミリーネーム(姓)の欄があるのだが、アゼルバイジャンVISA用紙にはファミリーネーム欄がなかったから、アザーネーム欄に姓を書いただけなのに。些細な事だと思うがなあ。
並んだ人が少なかったのに、結局45分以上かかって、無事入国。
入国したボクを待ち構えていたのはアゼルバイジャンのジローラモ(イメージです)。この男やたら調子がいい。
いろいろと翻弄されたが長くなるので省く。バクー行きのバスに乗りたかったのだが、最終バスは出た後だった。
20:00発の列車はあるが、到着は明日の7時になる。結局TAXIでバクーまで行くことにした。50ドル。安くはないが250キロという距離を考えれば、高くはないと判断。何より疲れていたので…。
6時前後TAXI出発。ホテル到着10時。近くのスーパーでビール&ウオッカ&つまみ購入。お酒が自由に手に入る国に来たんだなあと感無量。
あ、そういえば今日、僕の誕生日だったんだ。イランはSNS閲覧できないので誕生メッセージが投稿されたことは分かるが、内容を読むことができず、気をもんでいました。皆さん、ありがとうね!
さて激動の誕生日、今日一日を振り返ってみると、このトラブルは、ロスなく最善の形、効率で乗り越えられたことに気づいた。やはり僕って「持ってる」男なんですね。(#^^#)
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